旅行会 2025
呉・江田島と戦跡をめぐる旅
昨年で最後のつもりの旅行会、モバのリクエストで今回は呉や江田島を巡る旅を実施しました。観光地巡りでは無いので参加者を集めるのは大変であったと思われます。石〇さんありがとう。
黒船に依って開国をさせられ、内戦の後政権を取った明治政府は帝国主義の列強に囲まれている日本の現実を認識し、富国強兵を推し進めます。幸いなことに東の端にあった為、列強の関心は中国本土や朝鮮半島の権益の確保に目が向いていました。
遅れて帝国主義に参入した明治政府もまた朝鮮半島の権益に大いに関心を持ちました。当時この大陸の東の端に興味を持っていたのは、中国を食べるのに忙しい英仏よりも隣接している帝国ロシアでした。当時は飛行機も無く、海を越えて他国を威嚇・侵略するには海軍力しかありませんでした。極東の海軍力を見るとイギリスを別としてウラジオストックに極東艦隊を持つロシアでした。
日本の植民地化を防ぐには富国強兵策しか無かった日本は陸軍の整備に続き、明治17年に横須賀、明治21年に呉と佐世保に「鎮守府」という海軍の根拠地を作ります。まだ軍艦の造船力も無かった日本はもっぱら英国に頼って新式軍艦を購入整備してゆきます。佐世保や舞鶴が前線基地とすると呉は瀬戸内海のまた広島湾の中という外敵からはアクセスしづらい位置にあり、最大の根拠地として海軍工廠も置かれました。また兵員の訓練の為の兵学校も鎮守府と同じ明治21年に築地から江田島に移されました。
陸軍の根拠地としての広島もあり、広島湾への外国船の侵入を防ぐために要塞化が計画され、湾を囲む高台に侵入してくる艦船を攻撃するための大型砲が展開されました。(陸軍が1880年に開発した28センチりゅう弾砲)
今回は鎮守府跡はバスから見るだけ、砲台跡を見て兵学校跡を見学、翌日は現代の海上自衛隊の艦船の見学、鎮守府司令官官舎であった入船山記念館を見るような旅を企画してもらいました。
明治に思いを馳せ、戦争による多くの若者の犠牲者を偲び、未だに無くならない戦争を避けるための国防力にについても少し考える。そんな旅であったら良かったなと思います。
さて前置きはさておき、まずは行程から紹介します。
写真は三つのパートに分けました。
上記ページでは縮小されている集合写真を次のリンクより元の解像度でダウンロードできます。
楽しい旅行でしたね。幹事さんありがとう。
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2025/06