旅行会 2025
呉・江田島と戦跡をめぐる旅 (第一日)
当日東京から参加可能にしてもらうために11時広島駅という遅いスタート。
大半の参加者はのぞみ7号博多行きで行きます。岡山組が13号車というので東京組もJOIN
岡山駅からぞろぞろ乗ってきました、旅行会常連さんです。
下の右は今回初参加のSK君
無事広島駅に着き、廿日市交通という地元のバスに乗車。
広島市内にある庭園付きの食事処「はんべい」で昼食を食べ、お庭を散策。
右列、M谷、A本、あっちゃん、土〇、モバ、やえちゃん、かんちゃん、T岡
左列、SK、修、701、K山、石〇、長〇、富士市から田〇 計15名の参加者です
まるで額縁のようなお庭を愛でる
お庭を拝見
食べただけで何もしていないのに座り込む面々。同年代に見える?
お昼ご飯を済ますとバスで呉へ向かいます。昔は無かった高速道路。途中がけ崩れの跡とかを抜けて呉市内に入り、ここも今日は通り抜けて江田島へ向かいます。江田島は橋で繋がっていてまずは倉橋島、それから江田島へ渡ります。
が、その前に明治時代に広島湾要塞化の一環として作られた湾をにらむいくつもの砲台の一つ「高烏台砲台跡」に寄り道します。ここは平清盛により開削されたという伝説のある音戸の瀬戸をにらむ高台です。何でも開削工事が予定通りに進まず、日が暮れてしまうので清盛が扇で仰いで陽が落ちるのを食い止めた?伝説の場所。他に観光客無く細い道をバスで登っていただき、後述する砲台の下の兵舎の跡へ到着しました。
大きな28センチりゅう弾砲が3門、1門あたり4人くらいの兵がかかり、観測員や指揮者などいったい何人が暮らしていたのでしょう?明治29年から大正8年くらいまであったらしい。
砲台の跡は後に行くとして、音戸の瀬戸を望む高台に向かいます。眼科に見えるのは二つの音頭大橋です。石〇の頭の後ろが音頭大橋、土〇さんの後ろが第二音頭大橋です。暑そうですがすがすがしい高台でした。
伝説の清盛さんが扇で日の入りを呼び戻している銅像前です
バスは兵舎跡の横迄来てくれました。ここまで來る観光客はいないみたい。
絶景です
さて砲台跡に目線を戻します。
3か所の砲台跡はこの様になっています。
ここには明治初期に陸軍が開発した(イタリアの砲を参考に)外敵を防ぐ目的の28センチ榴弾砲(海岸砲)をこの山頂まで持って来ました。 こんな形の大きな砲で1発撃つと砲を水平に戻し、クレーンで砲弾を込め、その砲弾を飛ばすための炸薬を込め、栓をして角度を設定しなおして2発目を打つ、訓練しても15分くらいかかったらしい。
次の絵はプラモデルの箱ですが、大砲の形がよくわかります。
全国に展開されましたが、海岸砲としての実戦はありませんが、日露戦争の旅順要塞を攻撃する為、計18門を日本から運び旅順要塞を落とし、旅順港のロシアウラジオストック艦隊を壊滅させた事で有名になった砲です。
軍艦の性能が上がった大正時代には時代遅れとなり廃止されました。幾つかの砲台跡は昭和に入って高射砲陣地になったところもあると聴いています。
バスで登った険しい山頂まで人力で揚げるしか無かったと思うのですが??
先ほどの高烏台は①の場所にあり音戸の瀬戸の対岸の倉橋島へ渡ります。
そこから早瀬大橋を渡って江田島に入りまずは北上、現在は自衛隊の第一術科学校になっている②海軍兵学校跡に向かいます。
ここで1時間半の説明を聴いて、今夜の宿の江田島荘に向かう1日目の行程です。
さて海軍兵学校跡に到着。現在も海上自衛隊の学校になっています。防衛大や一般大学を出たあとに1年間の寮生活で必要な技術をたたきこまれるそうな。説明はお土産屋と一体になったOBのおじさんが大きな声で説明してくれました。
豆知識 海上自衛隊術科学校 (1と2は統合の方向らしい)
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まず案内されたのは石造り(御影石)の大講堂。これは今でも入学・卒業の時に使われているとか。「坂の上の雲」でのロケでも使われたそうな。まず天皇陛下用の正面の入り口を説明され、裏の一般入り口から中へ入る。
裏と言ってもこんなに見事
中は高い天井にレトロなシャンデリア、正面の演台には海軍旗と日章旗の奥に玉座?
次に向かうのは幹部候補生庁舎。赤レンガ作りの横に長い建物です。
今回裏には回りませんでしたがこんなになっているそうです。素晴らしい。ここもロケで使われたとか
端から覗くとこんな回廊が
最後の建物は教育参考資料館。ここは特攻隊の遺品や多くの写真とかあり、撮影禁止で脱帽して見学しました。海軍創成期から敗戦までの多くの資料が展示されていました。敗戦後焼却されたものが多いのですが、それ以前に遺族等が持ち帰った遺品を再度集めて今に至るそうです。
建物の外には昭和16年12月8日に真珠湾に突入した特殊潜航艇(現物)と大和の主砲弾が展示されていました。
「今どきの若者は・・・」、きつい仕事は嫌う若者が普通ですが、ここで訓練受けている若者は違います。
何組か行進?してきました。靴は自前かな?
スタート地点に戻る途中の広場から海が見えます。そこの桟橋は天王や海軍、今は海自のお偉方が船で来た場合に上陸する場所。その横に微かに戦艦の砲台のようなものが見えました。
戦艦「陸奥」の大砲です。これは改装時に撤去され、兵学校での訓練用の砲塔として使われたすです。
その後陸奥は山口県柱島沖で謎の大爆発を起こし1000人以上を伴って沈没しました。この砲はそれ以前に取り外されていました。
最後に赤レンガの前で写真です。
お土産屋さんでカレーとかクッキーとか買って江田島荘に向かいました。