井頭記念講演(4)  <前へ 次へ>

 

八 原子・分子と原子核
全ての物質の基本要素は原子あるいは分子です。例えば、風船に入っているヘリウムの基本要素はヘリウム原子(He)で、私たちが飲む水の基本要素は水分子(H2O)です。水分子は二個の水素原子(H)と一個の酸素原子(O)でできていますが、これらをさらに分けると、もはや水ではなくなります。
原子の大きさは約一億分の一センチメートルで、原子核と電子でできています。原子核は原子の中心にあり、原子の質量(重さ)の大部分を占めていますが、その大きさは約一兆分の一センチメートルと非常に小さい物質です。原子核の周りの電子はそれ以上細かく分けることのできない粒子(素粒子)で、マイナスの電気を持っています。
原子核は陽子と中性子からできています。陽子と中性子はそれぞれ三個のクォークからできていることが分かっていますが、クォーク同士はグルーオンで強く結ばれていてクォーク単体では存在できませんので、陽子と中性子もそれ以上に小さく分けられない素粒子です。陽子と中性子の総称を核子といいます。陽子と中性子の質量はほぼ同じで、電子の質量の約二千倍です。陽子はプラスの電気を持ち、中性子は電気を持ちません。
原子核中の陽子の数と中性子の数の和を質量数と呼びます。ヘリウムの原子核は二個の陽子と二個の中性子からできていますので質量数は四です。水素の原子核は一個の陽子だけでできているので質量数は一です。酸素の原子核は八個の陽子と八個の中性子でできているので質量数は十六です。原子は電気的に中性で、陽子と電子の数は同じです。

九 自然界の四つの力
自然界には四つの力があります。一つ目はニュートンの万有引力で有名な重力です。この重力によって、地球は太陽の周りを回っています。このことからお分かりのように、重力は遠方まで届くため、長距離力と呼ばれます。
二つ目は電磁力です。クーロン力とも呼ばれます。冬の乾燥した日に、下敷きを脇の下で擦って頭に近づけると髪の毛が逆立ちますが、これが電磁力です。電磁力も重力と同じく長距離力です。
残りの二つの力は二十世紀に発見されました。三つ目は核力です。強い力とも呼ばれます。核子の間に働く力で、この力によって原子核ができています。この力の到達距離は非常に短く、一兆分の一センチメートル以下です。そこで、核力は短距離力と呼ばれています。
四つ目は弱い力です。この力によってベータ崩壊が起こります。原子核内に閉じ込められていない自由な中性子の寿命は約千秒です。自由な中性子はベータ崩壊して、陽子とベータ線(電子)とニュートリノになります。なお、小柴昌俊博士は、一九八七年の最初に発見された超新星からのニュートリノを観測した業績によって、二〇〇二年ノーベル物理学賞を受賞したのです。弱い力も到達距離が非常に短く、短距離力です。
核力と電磁力の強さを比較しましょう。水素原子は陽子と電子が電磁力で結合していますが、この結合を切るためには約十電子ボルト(eV)のエネルギーが必要です。重陽子の場合は陽子と中性子が核力で結合していますが、この結合を切るためには約二百万電子ボルトのエネルギーが必要です。何と、水素原子の場合の二十万倍です。これが、核力が強い力とも呼ばれる所以です。

十 ビッグバン宇宙と素粒子の誕生
 私達の宇宙は約百五十億年前のビッグバン(大爆発)で開闢したと考えられています。ビッグバン直後の宇宙は大変な高温・高圧のため、物質とエネルギーが区別できませんでした。まさに、アインシュタイン博士の有名な公式、E=mc2、で物質とエネルギーが結ばれていたのです。ここで、Eはエネルギー、mは物質の質量(重さ)、cは光の速さです。一瞬、物質として存在しても、次の瞬間にはエネルギーになってしまうのです。
 宇宙はビッグバンから現在まで光速に近い速さで膨張し続け、温度と圧力が下がっています。陽子と中性子が物質として現れたのは、ビッグバンから約百万分の一秒後でした。それ以前は、クォークとグルーオンの世界でした。電子は純粋な素粒子なので早くから宇宙に存在していましたが、安定して電子であり続けられるようになったのはビッグバンから一秒後です。即ち、ビッグバン一秒後に、現在の物質を構成する全ての素粒子が揃ったのです。しかし、宇宙はまだまだ高温のため、これらの素粒子同士が結合することはできません。

十一 ビッグバン直後での元素合成
 素粒子同士の最初の結合は、結合力の強い核力によってビッグバンの約十秒後に起こりました。すなわち、陽子と中性子が先ず結合して重陽子ができました。続いて、重陽子と中性子が結合し、三重陽子ができました。中性子が結合する反応を中性子捕獲反応と呼びます。
高温・高圧の状態で重陽子と三重陽子がありますと、比較的簡単にこれらは反応して、ヘリウム四と中性子ができます。これを核融合反応と呼びます。なお、地上でこの核融合反応を起こさせてエネルギーを発生・利用しようとしているのが、日本原子力研究所などで進めている核融合炉研究開発です。更にヘリウム四と三重水素が融合するとリチウム七ができます。
リチウム七が中性子捕獲反応を起こしますとリチウム八ができますが、リチウム八の寿命は約一秒です。リチウム八はベータ崩壊してベリリウム八になりますが、ベリリウム八は直ぐに二個のヘリウム四に分解してしまいます。もし、リチウム八の一秒間の寿命の間に中性子捕獲反応が起こりますとリチウム九ができます。リチウム九は直ぐにベータ崩壊してベリリウム九になりますが、これは安定です。従って、いったんベリリウム九ができますと、中性子捕獲反応とベータ崩壊を繰り返して更に重い原子核(元素)が合成されていきます。
質量数が八の安定な原子核は無く、このリチウム八を経由して元素合成が進むか否かで学説が分かれています。標準ビッグバン模型と呼ばれる学説ではリチウム七までしか元素合成が進みませんが、非一様ビッグバン模型と呼ばれる学説ではアルミニウム二十七程度まで元素合成が進むことになります。
ビッグバンの十秒後に始まった最初の元素合成は約千秒間で終了します。前に述べましたように、自由な中性子の寿命が約千秒なので、元素合成である中性子捕獲反応を起こす中性子が無くなったのです。また、宇宙の温度と圧力が下がり、陽子や合成された原子核の速さが遅くなり、電気反発力(電磁力)によって陽子捕獲反応や核融合反応も起こらなくなったためです。
しかしまだ宇宙の温度は高く、プラスの電気を持った原子核とマイナスの電気を持った電子が電気引力(電磁力)で結合して原子が誕生することはできません。

十二 原子と星の誕生
原子核と電子が結合して電気的に中性な原子が誕生したのは、ビッグバンの約十万年後です。この時の宇宙にある元素は、水素原子(H)が約八十%、ヘリウム原子(He)が約二十%、残りのごく僅かがリチウム(Li)、ベリリウム(Be)、硼素(B)、炭素(C)、窒素(N)、酸素(O)、フッ素(F)、ネオン(Ne)、などでしたが、前に述べましたように、リチウムより重い元素まで合成されたか否かは学説が分かれています。これらの軽い元素については、私も中学か高校で、スー、ヘー、リー、ベ、ボ、ク、ノ、フ、ネ、などと覚えた記憶があります。
 宇宙の元素が電気的に中性化すると、長距離力の重力が活躍します。広大な宇宙にある原子と原子の間に重力が働き、原子が濃く集まった大きなガスの塊が宇宙のいたるところで形成されました。この塊は重力によってさらに収縮してゆき、中心部分の温度が高くなり、中心部分で四個の水素(陽子)が融合する核反応が起こり、星として輝き始めました。これが宇宙の第一世代の星であり、ビッグバンから約二億年後のことです。

十三 星の中での元素合成
四個の陽子が融合すると、最終的にはヘリウム四になります。このように水素が燃えてヘリウムが作られている状態の星を主系列星と呼びます。私たちの太陽も主系列星です。大きな星ほど速く燃え、私達の太陽の大きさだと、この水素燃焼期間は約百億年です。太陽系の年齢は約五十億年と言われていますので、今後五十億年ほどは大丈夫です。小さな星はゆっくり燃えるので、宇宙の年齢よりも寿命が長いものもあり、現在でも第一世代の小さい星を観測することができます。
水素燃焼が終わると、次はヘリウム燃焼です。即ち、三個のヘリウム四が融合して炭素十二が合成されます。次に、炭素十二とヘリウム四が融合して酸素十六が合成されます。このように次々とヘリウム四が融合して、重い星では、鉄までの元素が合成されます。鉄までのヘリウム融合反応は発熱反応ですので星の中で進みますが、鉄以上になりますとヘリウム融合反応は吸熱反応ですので星の中では起こりません。
鉄より重い元素は、鉄を種とした中性子捕獲反応とベータ崩壊によって進みます。すなわち、ヘリウムの融合反応で合成された鉄五十六を種として、鉄五十六の中性子捕獲で鉄五十七、鉄五十七の中性子捕獲で鉄五十八、鉄五十八の中性子捕獲で鉄五十九が合成されます。鉄五十九は約五十日の寿命でベータ崩壊して安定なコバルト五十九になります。そして、コバルト五十九が中性子捕獲してコバルト六十になります。このように、中性子捕獲反応とベータ崩壊を繰り返して、ビスマス二百九までの元素が合成されます。ビスマスより重い元素が合成されない理由は、ビスマスより重い原子核はアルファ崩壊するからです。アルファ崩壊すると、ヘリウム四の原子核であるアルファ粒子が原子核から飛び出すので、元の原子核は軽い原子核となってしまうからです。
なお、前に述べましたように、自由な中性子の寿命は約千秒なので、自由な中性子は星の中には元々は有りませんでした。しかし、ビッグバン直後の元素合成のところで、三重陽子と重陽子の核融合反応からヘリウム四と中性子が生成されたと説明しましたが、星の中ではいろいろな原子核反応が起こっていて、その中には中性子を生成するものもあります。この中性子の捕獲によって、鉄より重い元素の合成が進んだのです。

十四 超新星爆発での元素合成
 星の末期では原子核反応による発熱が十分でなくなり、星の温度が下がってきます。そうすると、重力による星の収縮が始まり、重い星ほど強烈な収縮となります。その結果、太陽よりも数倍重い星は超新星爆発を起こして終焉となります。そして、超新星爆発のあとにはブラックホールが残されます。なお、私たちの太陽の終焉は白色矮星です。
前にも述べましたが、一九八七年の最初に観測された超新星爆発から発生したニュートリノをカミオカンデと呼ばれる検出器で観測したのが小柴昌俊博士で、この観測によってニュートリノ天文学という新しい学問分野を拓いた功績によって二〇〇二年ノーベル物理学賞を受賞したのです。
超新星爆発では、それこそ爆発的な元素合成が主に中性子捕獲反応によって一気に起こります。地球上に天然に存在する最も重い原子核であるウラン二百三十八よりもはるかに重い、質量数が三百五十を越える原子核までも合成されたと考えられています。この超新星爆発によって合成された元素は、星の中で合成された元素とともに広大な宇宙に飛び散ってしまい、第二世代以降の星の原料となります。

十五 第二世代以降の星の原料
 第二世代以降の星は、これまで述べてきたことから推察されますように、ビッグバン直後に合成され宇宙に大量にある水素やヘリウムなどの軽い元素と超新星爆発で宇宙に飛び散った種々の元素が重力で一緒に集まって誕生しました。
地球は約四十六億年前に太陽とほぼ同時期に誕生したと考えられています。ご承知のように、地球は小さい惑星です。すなわち、太陽のように水素の融合反応によって輝かず、従って地球では元素合成は起こりませんでした。しかし、地球上には水素からウランまでの元素が天然にあります。このことから、私たちを含めた地球上の全ての物質は、ビッグバン直後に合成された元素と星屑からなっていることが分かります。星屑の代わりにスターダストと英語で言えば少しロマンチックな感じになると思いませんか?
なお、超新星爆発によって宇宙に飛び散ったウランより重い元素が現在の地球上に無い理由は、これらの元素の寿命(全て約二百万年以下)が地球の年齢四十六億年に比べて非常に短く、無くなってしまったためです。

十六 炭素十二、リチウム七、酸素十六と宇宙元素合成
 仁科記念賞のところで述べましたが、私たちは炭素十二、リチウム七、酸素十六の中性子捕獲反応の研究を行いました。ここで少し、宇宙元素合成研究におけるこれらの原子核の重要性を説明します。
 炭素十二と酸素十六はヘリウム四の融合で生成され、星の中には大量にあります。従って、炭素十二と酸素十六の中性子捕獲反応が起こりやすいと、星の中の多くの中性子は炭素十二と酸素十六によって吸収されてしまいます。このことは、鉄より重い元素の中性子捕獲反応合成に大きな影響を与えます。また、今回は説明しませんでしたが、星の水素燃焼過程において、炭素(C)、窒素(N)、酸素(O)が触媒として働くC-N-Oサイクルがあり、これらの元素は重要なのです。
 リチウム七はリチウム八とともに、ビッグバン直後の元素合成のところで述べましたように、中性子捕獲反応がどのくらい起こりやすいかによって、標準ビッグバン模型と非一様ビッグバン模型のどちらの学説が正しいかをある程度判断することができる重要な原子核です。
 このように、炭素十二、リチウム七、酸素十六の中性子捕獲反応は、宇宙元素合成研究にとって非常に重要です。しかし、すぐ後に述べますように、これらの原子核の中性子捕獲反応がどの程度起こりやすいかが良く分かっていませんでした。

十七 炭素十二と酸素十六の中性子捕獲反応
 中性子捕獲反応の起こりやすさを表す量を中性子捕獲反応断面積(以下、反応断面積)と呼びます。この反応断面積の単位は、日常で使う断面積の単位と同じ面積です。反応断面積が大きいほど中性子捕獲反応が起こりやすくなります。面積といっても反応断面積は非常に小さく、μb(マイクロ・バーンと読む)の単位で表すのが通常です。1μbは1cm2の一兆分の一の一兆分の一のさらに百万分の一です。
 炭素十二については、元素合成研究で重要な速中性子(エネルギーが約三万電子ボルト)に対する反応断面積のこれまでの実験値は200±400μbでした。誤差(不確かさ)のほうが大きく、ちゃんと測定されていませんでした。これに対して、理論値は3μbでした。すなわち、実験値と理論値が二桁も違い、宇宙元素合成研究でどちらの値を使えばよいか困っていました。このような状況の中、私たちは15.4±1.0μbという実験値を得ることができました。これで、炭素十二の反応断面積値の不確定問題は解決しましたが、私たちの実験値は理論値の五倍で、今度は理論のほうが困りました。
 酸素十六については、それまでの実験値が0.2±0.1μbで理論値が0.17μbと良く一致し、問題の所在すら分かっていませんでした。これに対して私たちの実験値は34±4μbで、理論値のなんと二百倍となりました。過去の実験値が間違いだったのです。
 私たちの実験値を理論値と比較すると、炭素十二では五倍、酸素十六では二百倍となりました。この理由を解明する必要があります。私たちは中性子捕獲反応で発生するガンマ線のエネルギー分布を調べました。また、中性子のエネルギーを変えたときに反応断面積がどのように変わるかを調べました。その結果、私たちの実験値が理論値よりも大きい理由は、「非共鳴p波中性子捕獲現象が起こったためである。」ということを解明しました。そして、特別な場合を除いて、この「非共鳴p波中性子捕獲現象」は軽い原子核に共通することを明らかにしました。
 「非共鳴」とは、「共鳴現象ではない」という意味です。共鳴現象だと反応断面積は非常に大きくなり、理論値の一万倍にも達することもあります。「p波中性子」はミクロの世界を支配する「量子力学」に出てくる概念です。原子核に入射する中性子の内の、原子核中心を大きく外れた中性子と理解してください。これまでの理論では、中心付近に入射するs波中性子によって軽い原子核の捕獲反応が起こると考えられていました。私たちの研究によってp波中性子捕獲現象が発見され、理論にp波中性子、さらにはd波中性子捕獲現象を取り入れる必要性が指摘されたのです。

十八 リチウム七の中性子捕獲反応
 リチウム七については、古い実験値として59±11.8μbと39.5±7.9μb、新しい実験値として21.0±1.9μbという値があり、理論値は40μbでした。古い実験値と新しい実験値がある場合、理論屋は新しい実験値を信用するのが普通です。理論値は新しい実験値の二倍で、理論屋はこの矛盾をパズルと呼んで困っていました。リチウム七についてはすぐ前に述べた特別な場合で、非共鳴p波捕獲現象は起こりません。たとえ起こっても、理論値は更に大きくなり実験値との差はますます広がります。
 私たちの実験値は39.8±6.0μbでした。理論値と非常によく一致し、理論屋はパズルが解けたと大喜びしました。新しい実験値が、何らかの理由で間違っていたのです。