岡大附属中学19期生 ゲストブック

岡山大学附属中学同期会ページにアクセスいただき、ありがとうございます。このゲストブックにコメントをご記入ください。

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皆様へ:同窓会集計途中経過について
7月末までの集計結果、現在65名の方が「参加」予定戴きました。
ありがとうございます。
返信がまだ、未返送の方も多くおられますが、とりあえず様子わからないから「欠席」という方もおられました。
今からでも遅くありませんよ!予定が変わった方、気が変わった方
是非、夏休みの1日を、15才の夏に帰りませんか!!

橋本哲郎


岡山市 日本 - 2001/07/31 15:28:27 (JST)


ゲストブックの記入欄の文字は小さい。
それが、「ゲストブックエントリの送付」をクリックした途端
“ボン!”と大きくなる。
片山さんがおっしゃっていたように、“ビックリ”。
昨日の私のコメントの中で、どうして“見”という字が
あんな所に印字されてしまったのか不思議。
「ゲストブックエントリの送付」をクリックしてしまうと、
間違いに気付いても訂正できないのが残念。
古田君のコメントのように、一行を短く書くには、入力時
どのあたりで改行すればよいのか。
下送りの三角印(何と呼ぶの?)を無駄にクリックすると
(というか、上に下にと行き来しているうちに)
元にもどしても、「ゲストブックエントリの送付」をクリックした時
コメントと自分の名前との間に無駄な余白ができてしまう。
というようなことで、
「ゲストブックエントリの送付」をクリックする時には
ちょっとしたスリルを味わうことができます。
まだ体験した事がない方は是非一度体験してみて下さい。
まずは、ゲストブックの「ご記入」をクリックして
スタートですよ。

森 和子


武蔵野市 日本 - 2001/07/31 12:23:40 (JST)


橋本君ご推薦の大平健さんの「豊かさの精神病理」の本、読んでいます。
難しそうな書名(?)なのに、内容はとても面白いです。先が楽しみです。



10年ぶりに宝塚歌劇を観ました。
「ベルサイユのばら2001」-フェルゼンとマリー・アントワネット編-
今回のベルばらも、知る人ぞ知る(私はちっとも知らなかった。)超人気で、
阪急電鉄の社長さんでもチケットの入手が困難という噂もあるとか…
妹が学生時代から宝塚のファンで、当時からの“ひいきさん”が専科にいます。
そこからチケットを入手し、私も便乗した次第。
やはり“生”は最高。でも申し訳ないけど、私には皆同じ顔に見えてしまいました。
しばし現実を忘れたひと時でした。

森 和子


武蔵野市 日本 - 2001/07/30 23:16:58 (JST)


南校長先生の話題が出ていながら、写真が載っていませんでした。
秋山さんに送りなおしてもらったものを先生のページに載せました。

古田


杉並 日本 - 2001/07/29 00:14:01 (JST)


皆様へ
昨日の追伸
南校長先生は、確か2年生までおられたと思いますが、こんなすごい人が校長先生なんだ、というその迫力に打たれたました。
ご自身の行動を持って、若い(幼い)我々に訓示してくださっていました。決して当時だって、マフラーに白布なんてカッコ良くなかったけど
今、大人になって(るか怪しいの声あり)解る、「カッコ悪いことは、実はとっても大切です」を教えていただきました。

ついでに、モノの大切さで、3年先輩に大平 健さんという方がおられます。(お会いしたことはありません)築地の聖路加病院の先生ですが、「豊かさの精神病理学」(岩波新書だったかな)を書いておられます。もう随分前の本ですが、何かのおりに手に取ってみてクダサイナ。

さて南校長先生の後の3年生の時は谷口澄夫先生でしたね。南先生と温和さは同じなのですが、随分紳士な印象の方でした。具体的な講話は記憶にないのですが、我々を大人の仲間として話を進められていたように感じていました。その谷口校長先生もその後岡大教育学部に戻られ、学長までなさいましたが、今年の春先に先立たれましたね。

仲間の皆さんが、すごかったんだということは、近年その認識をますます新たにしているのですが(これは決して社会的に・・・なんて意味ではありません。もっと人として多くのものを感じますから)、当時の先生方も、やはり今お会いしたい方が多くいたのだと、いまさらながらの感謝です。

橋本哲郎


岡山市 日本 - 2001/07/27 13:21:27 (JST)


皆様へ
炎暑・酷暑お見舞い申し上げます。
さて、
先般「過激」発言で皆様をフリーズ(涼しくし過ぎ)してしまいました。
2週間程謹慎しておりましたが、ここに謹んでお詫び申し上げます。

話遡って、
古田様「秩父でのゴルフ」お疲れ様でした。確か健脚向きとお知らせしましたが、ゴルフ靴より登山靴を持参下さいとも言えず・・・・・・
(こういうこと言うから過激?)
しかし、完走された様子、カートも走れない山岳コースです。体力に自信ありとお見受けしました。ボクシングのおかげですか。
伊勢田君も1度家族で使ってくれました。彼は毎年の青梅マラソン参加での体力作りを聴いていたので、ま、大丈夫だろうと。
春の櫻、つつじ、うぐいす。秋の紅葉等の良い季節にも是非どうぞ。
また、完走(感想)戦をやりましょう。
オーガーラさんから、ゴルフに熱中することが理解できない旨のお言葉ありましたが、私はひたすら「仕事」と考えております。思い通りゆかない(決して打った球は思った通り飛びません)、苦しい(山あり谷あり)、OB(規程範囲外に玉を打つと2打罰となること)は連発する、1Mの短い?パットが5Mにも思えるときがある等々。苦行難行であります。結果は無残なスコアとなり・・・しかるに何故?
決してマゾではありません。心の修行です。勿論、練習という体力トレーニングもあるのですが。99%心の修行です。ね?皆さん?
決して家を後にする言い訳ではございません、決して?

話変わって
オーガーラさんの附中レポート読みながら、やっと1つ思い出しました。朝礼の時の話です。冬の朝、南校長先生が段上で首に巻くマフラー
を手に持たれ、話を始められました。首題は、「皆さんモノを大切に」
だったと思います。
やおら手に持ったマフラーを裏返されました。そこには白地に何やら文字の書いたものが縫い付けられています。校長先生は大声でその文字を読まれました。「このマフラーは以下のばか者が落としたものです。恐れ入りますが連絡戴きたい。住所**南 勝一」

さて
オーガーラさんの父上のフィルム期待しています。是非皆で見たいですね。感想(感動)はその後改めて。

そのカメラの血は、娘に脈々と受け継がれ、かつてカメラのイメルダと異名を取り(アー、また過激発言だ!でも本人がそう言ったんだよ)
家族の写真で1部屋潰れてしまい(とは聞いておりません)、選挙ポスターの写真に活躍し、仲間の写真を取りまくって、何時も同窓会ではお世話になっています。
今年参加戴けないのは・・・・・ですが。

では、皆様、
時節柄御身体ご自愛下さい。

橋本哲郎


岡山市 日本 - 2001/07/26 18:22:52 (JST)


森様:ぼつぼつあわてず・・・の件、了解しました。
   
さて、今日は、書き込みに二日連続して成功。新記録!!!
でも、理由はいまだに謎。(そのうち解明しますね)
法則を知らないで使うのだから、考えてみると無謀な話。
実は法則を知らないで使うのは、パソコンだけではなくて、
鳥取に引っ越して、久しぶりにハンドルを握った車の場合も同じ。
ちょっと前のこと。スーパーの駐車場に車を停めて、車を降りたら、
ライトがピッカピッカと点滅しているではありませんか。
どひゃー、どうしてこんなことになったの!!!!
慌てて、その辺にいた見ず知らずの人をつかまえて、
「私の車、どうしてこんなことになったかわかりますか?」と聞いた。
その人、落ち着いて、かつ、かなり私を呆れたような顔で見て、
私の運転席のハザードランプを押してくれた。
ふーむ、今後何らかの事故で車を道の脇に停めるときはこれを押せば
いいのだな・・、と私はとっても納得したのでした。

そんなことも知らんで、車に乗るな!!!!!
とおこられそうだけど、
しみじみと考えてみたら、我々はこの世に発生するほとんどのことについて、何にも知らんで生きているるんですよね。
  (勝手に納得するな!!      スミマセン)  

さて、昨日のビデオの件: 見ました。
はっきり言って感動した。
父親がこんなものを写していたということすら忘れていました。
ブラスバンド部の演奏する行進曲にあわせ、田中光二君が旗手をして入場行進するところから始まって、ほとんどドキュメントとして
完成された作品になっていました。(親ばか、という言葉があるけれど
これは娘ばかというべき???)実に美しく、
すっかり記憶からはデリートされていた講堂のあった山際の景色も
再現されていました。
先生方の競技も、恐らくPTAの役員の保護者の方がされていたと思われる売店の様子まであって、ただ一言 「すばらしい」
これは絶対に皆さんで見る価値があると思います。

中学3年生になった娘の運動会に8ミリ持ってやってくる親って、
変わっていると思うけれど、うちの親、確かに変わった親でした。
佐々木先生の出した宿題が多すぎる、と言って
鎌田教頭にねじ込んだことがある。
蒲田先生は佐々木先生に事情を聞き、
1時間くらいでできる分量の宿題なので、多すぎるとは思いませんと、お答えになった。
先生には1時間でできることかもしれないが、
うちの娘は4時間かかった。
(単語テストの成績によって、各生徒に課せられた宿題の量は異なって いたので、中には7時間もかけてやった人がいました。)
子どもの能力をきちんと見極めていることも先生には求められる大切な作業である・・・・
要するに自分の娘がひどい成績をとったから宿題の量が多くなったわけ
だから、普通の親なら文句など言わないと思うのだが、
学校の指導方針にまで抗議をするんだから変わっている。

こう、と思ったら実行してしまう人で、この血は私の中にも流れているなぁ。

ところで、ビデオの映像のなかには、友達の走る姿をカメラで追いかけている私がばっちり納まっていました。
「カエルの子はカエルというわけか」・・・と、納得して、
はぁ〜 だめだ、こりゃ、と観念しました。

そんな私に、森さんのご意見。
やっぱり友達っていいなー、ととても嬉しかったです。ありがとう。 

片山弘子


鳥取, 鳥取 日本 - 2001/07/25 13:25:04 (JST)


片山様
ラジオ体操に関する早速の情報、どうもありがとうございました。
校外生活委員、ご苦労様です。
一番上のお子さんと一番下のお子さんとでは、子供達もお母さん達も
その気質が随分変わったのではないでしょうか。

さて、
古田君も「見るだけでも楽しいですよ。」とおっしゃってくださっているので
あまり過激な事はおっしゃらず、(気持ちはよーく解りますが)ま、
ぼちぼち楽しいコーナーにしていきましょう。

ということで
皆様、どうぞよろしく。

森 和子


武蔵野市 日本 - 2001/07/24 23:13:25 (JST)


一日おきに書き込みができたり、できなかったりします。
何なんだ、これは?!
昨日はいっぱい書いたのに、オフラインの表示が出て、努力はすべてフイになりました。(そんなことでめげる私ではありません)

昨日書いていたことを手短に要約。

古田様:
校舎の写真左下に写っている木造建築について、私の推測を述べます。
あれは、特殊学級があった校舎ではないでしょうか。
ダンス教室へ通うとき、右手にこの建物を見ながらバスケットコートを
横切ったものです。
講堂は、ですから、もっと山際(校門から言うと奥)でもっと向かいの小学校の方へ寄っていたはずです。
ダンス室の横の暗い講堂で、長いすを積み上げて空間を作り、
卓球のラケットを振り回していた人たちがいたのを思い出しますが、

     あれは古田さん、あなただったのね・・・・・
    (ちょっと、三文メロドラマ風でおかしい。)

 講堂にもいっぱい思い出があるし、この際、まとまった文章にしようかな、という野望がふつふつと沸いています。
(とにかく附属って、私にとっては現在の私を多くを決定した重要なところだったのだ、ということがこのたび書き込みをしているうちにだんだんわかってきたものですから・・)

ところで、皆様に一つ大ニュース。
 本日、岡山の父から荷物が届き、その中になんと、附中の運動会のビデオが入っていました。勿論その当時ビデオなどなく、父が写したのは8ミリなのですが、
それを誰でも簡便に見られるようビデオに作り直してもらったようです。まだ、見ていませんが、今晩早速見て、あまりにみっともないオーガーラが写っていたら、門外不出にしますが、
私の恥さらし(これ以上恥をかいたってほとんど大勢に影響はない??)を上回る懐かしさがある、と判断した場合は
今度の同窓会に私の代理で参加させようと思います。
皆さま、お楽しみに。そして是非ふるって同窓会にご出席を!

森様:
私は現在、今年18年間お世話になった小学校に最後のご奉公として、
今年校外生活委員、というのをやっています。
目下、昨日から始まり、8月10日まで続くラジオ体操に毎日付き合うことに決め、毎日朝日の中で寝ぼけた顔を日に焼いています。
今の子どもたちは、「お客さま」で大切に大人に守られて育てられているせいか、六年生だからといって下級生のお手本になったり、面倒を見たりするなど夢にも意識に上りません。
それではいかん、というので、六年生をみんなの前に並ばせ、親ではなく、子どもたちの当番を作ってラジオや出席印の世話をさせることにしました。
「子どもは社会の宝」というのは簡単だけれど、
大切に思うのなら、ちゃんと手間と時間を投入して「社会の財産」として育てなければいけない、とやっと気づいた、というわけです。

うちの六年生もローストチキンみたいな格好(これは山下緑先生の
表現。腕をまっすぐに伸ばしていないとこう言われたものです。
豊かな感性の持ち主の先生らしい見事な比喩でしょう?)で体操をしますが、
3週間でいくらかはまともなラジオ体操ができるように仕込みたいと
思っています。


皆様:ゲストブックを開いたら、必ず書き込みをしましょう。
   誰も書き込みがないのを確認するために古田先生に開かせるのは
   失礼だと思います。
   見たよー、とか、元気ですだけでもいい。
   ああ、○○さんも元気なんだー、と思ったら、皆も元気になる仕   組みになっているのが、この「ゲストブック」
   黙って見るだけ見て、何も書かないのは反則。

またまたいっぱい書いちゃった!(もう、どうにも止まらない・・・)
今晩ビデオで誰と会えるのかとっても楽しみ!!
ではまた


片山弘子


鳥取, 鳥取 日本 - 2001/07/24 18:05:26 (JST)


皆様
暑中お見舞い申し上げます。
連日の酷暑、お互い健康に気をつけて、この夏を乗り切りましょう。

早朝のラジオ体操、炎天下のプール通い、あの頃の“元気”が懐かしい。
ところで、最近の小学生、夏休みのラジオ体操ってやっているのかしら?我が家の下の子の時は、休みの前半1週間、後半1週間あったような気がします。プールは皆元気に通っていますよ。すぐ近くに小学校があるので、よく見かけます。彼ら彼女らの元気を分けてもらいたいものです。

森 和子


武蔵野市 日本 - 2001/07/24 11:57:21 (JST)


岩牡蠣は同感です。でも危ないから生きているのを
目の前で開けてもらわないと食べられません。残念
ながら、東京では鳥取の岩牡蠣は間に合いません。
この辺りは岩手のものが多そうです。私は冬の広島
の方が好みではありますが、、、

片山さんの書きこみを読んでいて唾がでてきたので
書きました(いやしいね〜!)

ゴルフの他には最近「シェイプアップボクシング」という
素人向けのボクシング・エクササイズに凝ってます。普段
使わない筋肉をホンの50分ほど使うだけで、また昼の
ビールが美味くなります(まったく運動の効果無し)

古田

furuta-y@jcom.home.ne.jp
杉並 日本 - 2001/07/23 23:28:55 (JST)


どうせだめだろうなぁ・・・と思って書き込みに挑戦。

だめと思っていて、できちゃうというのも面食らうもの。
さて、何を書こうか・・・
それで、今日は鳥取の夏の味覚について
オススメは白いかのお刺身。
「白いか」という特別においしい、特別ないかがある、と
つい一週間ほど前まで信じていましたが、これは岡山では
剣先と呼ばれているもの。
名前のとおりずいぶん形が細長いです。
取れて三日目でも鮮度がよければ(鮮度がよいうちは、胴体の赤いまだらが指で押すと色が変わる)おいしい。
イカが白いと思っている人はかなり古いものしか見ていない。
海から取れたてのやりいかは真っ黒、白いかは赤茶色です。

もう一つは岩ガキ。普通かきはRのつかない月には食べないと言われ、
もっぱら冬の味覚とされています。
(RがつくのはSeptemberからAprilまで)
ところが岩ガキは夏の味覚。
一粒が手のひらに乗るほど大きい。
これを酢しょうゆ、レモンの絞り汁、あるいはケチャップで
ペロリ、とやる。  うーん、最高!!!

鳥取には砂丘を見下ろすところにたしかゴルフ場があります。
大阪あたりからでもプレーにいらっしゃる。
(何分にも鳥取には人が少ないものですから何でもすいております。)

砂丘を見下ろしてプレーのあとは浦富海岸近くの料理屋で海の幸を味わって、砂丘のど真ん中にある温泉(福部村営)につかって帰る。
勿論知事公邸にお立ちより下さっても歓迎いたします。
みなさん鳥取県をよろしく。
言うに事欠いて わが社の宣伝をしてしまいましたがお許しください。

片山弘子


鳥取 日本 - 2001/07/22 23:53:02 (JST)


古田様:
暑い中、ゴルフご苦労さまでした。
それとHPの書き換え作業いつもありがとうございます。
書き込みができなくて(相変わらず、ひらがな入力ができないときがあるのです。)すごすごと引き下がるしか能のない私にとっては
この技能にはただただ驚嘆あるのみです。
しかし、それにしてもパソコンの威力。便利な世の中ですね。
 大手まんぢゅうがパソコンで注文できるなんて!!!

それにしても、
(これは必ずしもすべての女性に共通の疑問ではないと思いますが、)
どうも私には、世の男性諸君がなぜかくもゴルフで夢中になるのかがよくわかりません。
6年前にゴルフをやったきり、というあまりゴルフには執着のない連れ合いがいうには「上達するからはまる」ものらしいのですが、この説明は、連れ合いにしては珍しく、私を納得させることに成功していません。

所詮、女にはわからないのさ・・・とあしらっていただいても結構なのですが、ただ、ひとつお願い。
山手線のホームでフォームの研究をするのだけは止めてね。
男性諸君には、やっぱり我々女性にとって不可思議でかわいくて、頼もしくて
そして魅力的であってほしいから。

真夏の夜の独り言でした。

片山弘子


鳥取, 鳥取 日本 - 2001/07/21 23:23:03 (JST)


行ってきました。秩父国際CC。もうものすごい山岳コース。
酷暑と山登り、谷下り、すごい運動になりました。
関越道、花園インターから真新しいバイパス(有料)を通り
20分位でコースにつきます。都心からは結構近いです。
コースは横幅はたっぷりありますが、アップダウンが激しく
距離はそれほどありません。何度もリフトでアップダウン、
確かに接待には使えそうにないですが、運動には間違い無く。
谷越えも結構あります。荷物はモノレール式の自走キャリア
が運んでくれますが、時々どうして私を乗せてくれないのか?
という思いに駆られました。
と言う事で、秩父国際レポートでした。暑かった!!
(スコアは言えません)関東近在のゴルフファンの方、視察
に行くときは付き合いますよ。

古田

furuta-y@jcom.home.ne.jp
杉並 日本 - 2001/07/20 21:11:50 (JST)


今日、同窓会の案内状が届きました。このコーナーを開きさえすれば、いつでも同窓会だってことがわかったから、あんまりがっかりしないで欠席の方に○をつけました。今日は終了式。通知表の家庭欄に頭を冷やしながらコメント書いて、学校から持ち帰られたお便りの束を読みながら、小・中・高・大・社会人の子どもの、プールだの、部活だの、試合だの、補習だの、帰省だのと、7/8月のカレンダーに○つけしていたら半日かかってしまいました。やれやれ。昨日は六年生の末っ子がクラスで飼っている金魚3匹とハムスター1匹を引き取ってきたので、現在我が家は、すなねずみ3匹、ハムスター6匹、金魚6匹、ドジョウ2匹、人間6人の大所帯になりました。
 さて、附中の夏休みの思い出、と言えば、豊島の臨海学校。週刊誌によると、今、豊島は凄まじいゴミの島になってしまっているらしい。我々と、現在の子どもたちの置かれた環境の違いを象徴しているようで心が痛みますね。経済も政治もボロボロになったところで50歳になった我々に社会が期待している働きって何なんだろう。そんなにカッコつけるつもりはないけれど、やっぱり、ふっと思っちゃいます。
 林間学校には教育学部の教生の先生も一緒に合宿してたような記憶がある。泳ぎから帰って宿で出された「重湯」(片栗粉+砂糖)がおいしかった。容器いっぱいに注いでほしい時には「表面張力」と指示して、本当に容器の縁から盛り上がっているのを、こぼさないように飲んだ。こういうところも、附中のソフィスティケイテッド、つまりちょっぴり衒学的で気障っぽいところ。でも、それが我々にはたまらなく楽しかった。またひとつ賢くなっちゃった、みたいで習った知識は使ってみたくてうずうずしていたんだと思う。無邪気だったんだねぇ。

 豊島には、当時ちょっと智恵遅れの人がいて、「豊島原人」なんて、今から思うとちょっと問題アリの呼び方をした。でも彼は島のコミュニティからちゃんと見守られていたような気がする。彼ははだしだったのかなぁ・・ぺたぺたした歩き方が強烈な印象に残っている。最後の日は泳いでいた浜から岬を越えて宿舎のある浜まで遠泳をして戻った。いつでもボートに引き上げてもらえる体制で泳いでいたから不安ではなかったけれど、おなかの下の海の水が浜辺の水より数段冷たくてちょっぴり怖かった。私はそんなに泳ぎに自信のあるほうではないのに、よくやらせてくれたな、と思う。「命綱」と称するさらしの紐を腰に巻いていたけれど、いまどきの中学生なら、そんなダサい格好をさせられるくらいなら泳がないっていうのかなぁ。あまりおしゃれではなかったよね。(だから家庭科で縫ったワンピースを女子はいっせいに着ていたりした。あれも、おしゃれの問題ではなく、自分で縫った服を着るのがうれしかったのかな?関係ないけれど、今年の冬、私は高校二年生の次男が縫ったフリース素材のフードつきトレーナーを愛用していました。男女共同参画、とやらで、確実に時代は変わっているんですよ。)
 臨海学校以外には夏休みにはそんなに記憶がない。附属は校区が広いから、いったん学校が休みになると、そんなに友達に会えないから思い出が少ないのかもしれない。
 月曜日と木曜日?に朝礼があって校長先生のお話があった。卒業アルバムには谷口校長が載っているけれど、一年生の時は確か、南校長とおっしゃるおじいちゃんだった。背が高かったから列の後ろの方でざわついているのが常の悪い生徒。
 それから今から思うと、表彰するのが好きな学校で、何だ、かんだと言っては朝礼で表彰式をしていたような記憶がある。春と秋の陸上競技大会では3位までバッチがもらえた。日本中がこんな風にいい意味の向上心や競争心で一生懸命走っていたのかもしれないね。
 自分の子どものこととひきくらべたりして、自分が遠くに眺められるのは、やっぱり半世紀生きてきたということの証なのかな・・。歳とった、とも思うけれど、こんな視点が手に入るなら歳をとるのも悪くないかなという気持ちもある。
幹事のみなまさに今からお願い:HPに載せる写真には、旧姓もこみで、必ず名前をつけて下さい。
では、少々気が早いご挨拶かもしれないけれど、御盛会をお祈りします。
晴れの国、岡山のみなさまへ       鳥取県からでした。
 

片山弘子


鳥取, 鳥取 日本 - 2001/07/19 19:46:58 (JST)


「不思議な気持ち」
 今週10日(火)に仕事で横浜に立ち寄りました。場所も山下公園近く、16年間の横浜での生活の中で、何度も行き交い、近くの教会や建物をスケッチしたことも鮮明な記憶の場所です。
 つまり、いつもの何でもない場所のはずなのですが、「何かが違う」と感じるのです。決してミステりーゾーンなんて話ではありません。
 「エトランゼなのだ、私は」といえばお分かりでしょうか。そこが日常空間でなくなっているのを強く感じていました。
 この5月の連休に女房と猫1匹が横浜から岡山へ移住しました。
 私自身はもう1年前に岡山に単身赴任していましたが、この4月に同じ場所では感じなかったことです。まだ横浜の住まいには大学生の息子が住んでいます。それでもこれだけのいわば喪失感にも似た感覚の変化に愕然としました。

 友人がいて、子供がいて、そんな街が、たった1人の配偶者の不在で「自分の街から他所の街」に変わっていました。

 昨日のコメントで、気持ちのやさしい古田さんまで悪者にしてしまいました。同期の女性の皆様へ:男なんてかくも配偶者に依存し、頼りにしているかということです。(なーに、単におまえがおセンチなだけさ・・・の声も聞こえはするのですが)
                  

橋本哲郎

hashimotottr@gw.ohmoto.co.jp
岡山市 日本 - 2001/07/12 10:49:31 (JST)


大館先生の「行ってもいいですか?」と「行かせて下さい。」の事は私もよーく覚えています。ついでながら、先日の同期会での安田さんからの情報によると、大館先生はご健在とのことです。彼女は書道の先生をされており、教室を開かれました。

先日の同期会の二次会で話をした福田君は実に当時の細かい事まで良く覚えていらっしゃる。で、その事を質問したところ、彼は2年の時、神戸の男子校から転校してきたそうです。そして附中での生活が、とてつもないカルチャーショックだったそうです。そのインパクトの強さで覚えているのだとか。それだと思います。感受性の問題といえるかもしれません。でも最終的にはやはり記憶力の問題だと思いますが・・・

橋本君の奥様にとって、その時それがどんなにステキな言葉だったのか(ことだったのか)、感動的な言葉だったのか(ことだったのか)、ショッキングな言葉だったのか(ことだったのか)、刺激的な言葉だったのか(ことだったのか)、重ーい言葉だったのか(ことだったのか)・・・は知りませんが、きっと印象的な言葉(事柄)だったのだと思います。感受性豊かな方で良かったですね。(やっぱり、良い事でしょう???)


さて、
東京では明日からお盆です。我が家にも6年前からお仏壇があり、ここにいる間だけという事で吉祥寺にあるお寺にお願いして、お世話になっています。子供達にも先祖供養だけは、ないがしろにしないよう、今から言っています。怖い話もあったし・・・
お盆の間、なるべく殺生をしないよう心静かに過ごしましょう。
合掌。







森 和子


武蔵野市 日本 - 2001/07/12 10:42:07 (JST)


世の中の女性の平均とか言われると、これは困るのですが
しかしながら、彼女の記憶力はまるで小説のようにその情景を
映し出して素晴らしい。
平均的には、橋本氏に賛成です。こちらが忘れている、殆ど
酔っ払ったついでに口から出た女性にとっては根にもたれる
表現を、10年でも、20年でも覚えている、と言うことは
女性は一般的にものすごい記憶力を持っているのだと思います
(本日、女性を敵にまわす気は毛頭無く、誤解の無いように)
橋本さん、我々がボケなのです。あきらめましょう??

古田

furuta-y@jcom.home.ne.jp
杉並 日本 - 2001/07/12 00:48:27 (JST)


古田さんへ、8月12日岡山での同窓会「広告」ありがとうございました。
皆さんへ、私が、横着を極めた結果、案内葉書が遅くなり、特に帰省切符を入手すべく構えて下さっていた皆さんよりお叱りを受け、岡山に先だって、関東在住の皆様に先行案内をMAILでさせていただきました。本当に皆様に御迷惑お掛けします。&参加期待しております。

さて、鳥取在住のHKさんの記憶力に感服し、かつ内容にはお腹抱えて楽しませて戴いております。ありがとうございます。私には、八栄ちゃんとお弁当騒動(おかず争奪戦)を起こした女の子がいたことや、廊下で川崎君を大声で呼んでいた女の子がいたことが記憶の隅から立ちあがってきました。いえ、これ決してオーガーラさんのことではありませんよ。夢思ったこともありません。後ろの座席の背の高い女の子に、(昔は少しは多かった?)髪の毛を授業中時々引っ張られたなんて、決して覚えてはおりませんよ。決して。

しかしその記憶力は驚愕に値しますが、これは、世の中の女性の、平均値のどのあたりに偏差するのでしょうか?昨日の記憶さえままならぬ(決して、カサブランカのハンフリー・ボガートの台詞「昨日?そんな昔のことは覚えていない、・・」なんてキザな話でなく、ただただ、記憶素子の不足と老化でしかないのですが(当方は)、どうも最近我が家の敵(カミサンごめん)が、こちらが全く記憶のないことに対し、「昔あそこでこういった」、「あの時ここでこうした」なぞとのたまうことが多くなるにつけ(御同輩そうではござらぬか?)、人生の配偶者は密かに若い頃から、たくましく、時が満ちるじっとまって、男どもが(私が)勝手なことをほざいておったのを、観察していたのではないだろうかと、恐れにも似た気持ちでおります。(こんな事書いたなんてしれたらほぼ自殺行為)
そんなことを、今回の同窓会で・・・ね、御同輩!
アー、これで全ての女性の同期性を敵に回してしまった。

橋本哲郎

hashimotottr@gw.ohmoto.co.jp
岡山市 日本 - 2001/07/11 16:21:51 (JST)


2回ほど思い出すままに書きました。最初は、何も考えずにずらずら書いて、それがゲストブックにどんな風に表記されるのかがわかって自分でもびっくりした。ちと書きすぎたかな!とね。それで次は適当なところで止めた。でも、やっぱり次々といくらでも思い出されるので、続きを書こうと思った。ところが今度はなぜか直接入力しかできなくなってしまいました。(古田先生、理由がわかったら教えてください。)どうすればもとに戻るのか分からないまま数日が過ぎたのですが、今日、やみくもにいじっていたらひらがな入力ができるようになりました。なぜ、できなくなったのかも、なぜ復活したのかもわからないけれど、「できればいいのだ」と、前進しております。人生に習熟した?このたくましさを身につけた女性のことを一昔前、世の人はオバタリアンと呼んだみたいだけれど、ま、呼びたい人には呼ばせておきませう。
でもねぇ、しかし、BUT!さりながら、・・・「すごいことになっている」という言い方はないと思いません、松岡君?
「賑やか」とか「盛り上がる」とか、もう少し言い方があると思う。

それで、今日は思い出の続きなんだけど、「ものの言い方」について。
附中はとにかく、授業以外の部分に発見が多かった。(授業が面白くなかったという意味では決してありません。)
大館先生を覚えていますか?そう、書道の先生です。
授業が始まるまでに半紙を用意しておかなければならないのだけれど、時々、それを忘れて、授業が始まってから購買へ買いに行く生徒がいました。教壇のところにいらっしゃる先生のところまで出て行って、「半紙を買いに行ってもいいですか?」とたずねると「だめです」と言われ、「半紙を買いに行かせてください」とお願いすると「よろしい」と言って行かせて下さった。
 私は忘れて買いに行ったことはないのだけれど、このやり取りが非常に印象に残っていて忘れられません。
 行っていいですか?というのは判断を相手に任せている。いいと許可されたら行く、というのなら私(大館先生)は許可しない。しかし、行かせてください、と自分が行きたいから許可が欲しいというなら許可します、ということで、私は非常に大きなことを教わったと思っている。
すべてのことを人のせいにしない生き方っていうのかな・・・・.
自分のしたこと、それは全部自分がしたいと思って、そうすることを自分が選択したのだと意識しているって潔いと思う。
 それと、行っていいですか?と行かせてくださいの違い。気をつけなければ、どちらも同じことを言っていると思ってしまうけれど、先生の注意で、ものには言い方がある、ということも教わった。

 習字でついでに思い出すこと。字のうまい人が多かった。なかでも、樋口好美さんの名前が美しかったことがなぜか強烈に印象に残っている。

こういうのは記憶力とは言わないと思う。なぜだか分からないけれど、頭ではなくて心に刻まれている。記憶には忘却があるけれど、心に刻まれたことは消えることがない。
大きなことも小さなことも、大切なことも些細なことも、割と無造作に何でも心で受け止めていたのかもしれない。幸せな時間が附中のなかでは流れていた・・・。そういう意味でも懐かしい母校である。

片山弘子


鳥取, 鳥取 日本 - 2001/07/10 23:41:32 (JST)


下手なのですが、私もゴルフはまってます。13日あたりに
もしできるのなら、考えても良いな(^o^)
松岡さん、どうですか??

古田

furuta-y@jcom.home.ne.jp
杉並 日本 - 2001/07/10 23:04:46 (JST)


松岡です。
久しぶりに覗いてみたら、いや凄いことになってますね。
しかし、にぎやかなことはいいことですよ。
みんなしっかり、書き込みして色々と昔を思い出したいですね。
それに確かに、岡山からの書き込みが少ないみたいです。
又会ったら、言っておきますから・・・
今日は趣味のことでも書いておきます。
中学から軟式テニスを始めて、今は硬式に移って20年が経ちました。
いまだに上達も無く、ただ健康管理のためにやっています。
それに、この年になるとゴルフですか・・・
商売上仕方ないですが、途中からはまってしまいましたよ。
今では、月に6,7回ぐらい行ってます。
今度の同窓会にあわせて、ゴルフやりたい人がいればエントリーしますが・・又希望者は個人当てにメールください。
それでは、暑い日が続きますが、8/12まではとりあえず皆さん頑張って下さい。

           松岡 徹

松岡 徹

matsuoka@asahi-dengyo.co.jp
岡山, 岡山 日本 - 2001/07/10 10:16:33 (JST)


岡山の同窓会に出席予定の方、その様子をまた報告してくださいね。私、今年は一応受験生の母なので、帰岡予定なしです。帰省される方、そろそろ切符の予約をしないと1ヶ月前になりますよ。


さて、
2年ほど前からミニテニスを楽しんでいます。
ミニテニスとは生涯スポーツとして立川で生まれたニュースポーツです。コートはバドミントンコート(したがって室内競技)、ネットの高さは1メートル、ボールはビーチボールの小さいもの、直径13〜14センチ、中に空気を入れ、ビーチボールと同じように3色に彩られています。ラケットも小さめ。試合はダブルス、必ずワンバウンドしたボールを打つ。ボールはポーンと打つのではなく、基本はラケットでこすりボールに回転をかけて打つ。
これを見るかぎり、随分楽なようでしょう?そう、無理なく楽しめます。でも、意外と奥が深いのです。
ある大会に国分寺から参加したペアーは、お揃いのユニホームになんとスコート姿(普通はトレパン)、試合も打球がカット、カットでとても同じスポーツとは思えなかった。また男性の打球はラケットに当てるだけで精一杯のこともあります。(今にもボールが破れそう。)
老若男女、それぞれのペースで楽しんでいます。80歳以上の方もいらっしゃいます。自分がその歳になった時(生きていればの話)、あれだけ動けるかどうか大いに疑問です。
明日もちょっとした大会があります。モットーは勿論“勝つこと”ではなく、“参加することに意義あり”デス。

森 和子


武蔵野市 日本 - 2001/07/ 6 12:41:38 (JST)


もっと色々な人に、、と思って昨日は(毎日見てますが)
書かなかったのですが、大河原さんどうしてそんなに良く覚えている
のでしょうか(最近アルツハイマーで...)

お勧めの写真あれば送って下さい。K写真館のページ作りますよ??
井上さんのピアノの話は知りませんでしたが、すごい人だったのですね
今ごろどうしているのでしょう?

岡山の皆さん、鳥取からも書きこみあり、是非とも参加下さい。
橋本君、近藤さん8月12日決まりましたか?夏休みをそこを目処
にとろうとスケジュール調整中です。止めないでね??

古田


杉並 日本 - 2001/07/ 4 22:06:04 (JST)


片山さんの記憶力に唯、唯、脱帽!!

後が続きません…

森 和子


武蔵野市 日本 - 2001/07/ 4 16:38:12 (JST)


昨日の続きです。
1.まず、カメラマンとして報告します。
1996年の同窓会の場所は銀座高松です。
迷子になりそうなわかりにくい場所でした。
2次会はぺリでした。
この頃まだ子どもが小さかったので、最後まで残れなくて先にひとりだけ抜けました。落合さんに「まだ門限があるの?」って聞かれた。
私ってどうしてこんな細かくてどうでもいいことを覚えているんだろう?
新橋駅から直接ペリに行ったのなら、方向音痴の私だって迷うことはなかったと思うけれど、
銀座高松から、前を歩く人の後ろをひたすらついて行ったので、全く地理的な位置関係がわからなくて、迷子になった。駅の名前は忘れたけれど、地下鉄の駅があったのでそこから帰ったのを覚えている。
誰ですか?同じところを大安寺高校の同窓会に使った挙句、記憶がこんがらがっちゃってどこだったか分からなくなったのは?
2.昨日の訂正 その(1)
 私としたことがやえちゃんのお名前を間違えました。
 八栄ちゃんです。彼女とは、お弁当のおかずをとった、取られた、と廊下を駆け回りました。他にもお弁当では争奪戦をした人が多々おられます。あの頃、私の辞書に「恥ずかしい」という言葉はなかった。
(誰です?「今もだろ」って言ってるのは?聞こえてるぞ!!!)
3.訂正その(2)
 音楽の鑑賞曲のうち、魔笛は魔王の誤り。
 ベート-ベンの運命も聴いた。これは「ジャジャジャジャーン、ジャジャジャジャーン」の次の旋律を知っていますか?と佐藤先生が質問したので覚えている。
つい最近、ひょんなことから分かったのだけれど、実はこの「ジャジャジャジャーン」は、正確には「ン、ジャジャジャジャーン」で、譜面の最初の音は、八分休符だそうな・・・・

昨日は本当に思いつくままに書いていたら、眠たくなって寝てしまった。それで、思い出の続き。
川崎先生。同姓同名の友達がいたので「川崎○○のアホ-」とわけもなく叫んだ。先生、川崎君、大変失礼なことを致しました。
ごめんなさい。
無理数(平方根)を習ったとき見事につまづいて、テストで赤点を取って追試を受けた。最初から丁寧に復習したら、少し理解できた。
この復習のおかげで、今でも筆算で平方根を求めることができ、このワザのおかげで中学生、というムツカシイ年頃になった子どもの尊敬を
回復することに成功している。川崎先生、ありがとうございました。
すごい人がいるなぁ・・と感心した出来事。
井上さん。ピアノずいぶん遠くの先生について本格的に勉強していた。
ある日、英語の時間、彼女にしては本当に珍しく宿題ができていなかった。なぜ、しなかったのかと尋ねた先生に「ピアノがあったから」と答えた。「ピアノと英語とどっちが大事なんだ!!!!」とあの火の玉熱血漢が怒った。教室中がビビッた。「ピアノです。」井上さんの答えだった。凛とした声、という表現があるけれど、この表現に出会うたびに「ピアノです」と言った彼女の声がよみがえる。
あんまり長く書いても他の人が書きにくいかな、と思ったので今日はこの辺で。   
みなさん、「大河原はこんなアホなことしてました。」という思い出をお寄せください。

片山 弘子

yhtasyrn@ncn-t.net
鳥取, 鳥取 日本 - 2001/07/ 3 23:32:38 (JST)


皆様: お久しぶり
古田様:  ホームページ製作ありがとう。
丸山様:  次期幹事就任のご挨拶状ありがとう。
武政様:  前幹事ご苦労様。写真たくさんありがとう。
伊勢田様: 楽しいクイズを解けなくて残念。
(市電の初乗り料金は忘れたけれど、宇津木君が電車に轢かせてぺったんこにした10円玉を見たとき、世界が広がったような気がした。彼は常に体制からはみ出そうとするエネルギーを発散させている人だった。)

ホームページを見ての感想: とにかく懐かしい。
それで、思い出すことを思いつくままに。

 附中って、当時相当ススンデいる学校だった?ちょっとやりすぎくらいにね。スペリングテストを覚えてますか?スピーチコンテストは聞いたことあるけれど、附中卒業以来、スペリングコンテストなるものにお目にかかったことがない。あれは巷では「単語テスト」と呼ばれるもので、ずいぶんキザな呼び方をしたもんだと思う。LLを取り入れたのも世に先がけていた。佐々木先生がもう、すっごく張り切っていて、大きな声で発音させられた。その上、その日進んだセクションを必ず5回書くという宿題が出て、とにかく勉強させられた。これはありがたかった。でも、グッドマン先生は、授業中に「佐々木先生は黙ってて・・」つまり、「あなたの発音はあまりよくない」という意味のことを言った。佐々木先生がちょっと気の毒だった。
 音楽の佐藤先生はウィーンの香りがした。魔笛やツィゴイネルワイゼンや、ボレロを聴かせてくださるとき、レコードを持つ白い指に生活臭がまったく感じられなくて素敵だったな。あるとき、レコード鑑賞中にせっせと内職してたら、感想を聞かれた。すごくもっともらしい評論家めいたことを言った。「聴いてなくてよく感想が言えますね。」と言われた。自分のうちでレコードがすりきれるほど聞いた曲だからこれくらいのことは言える、と思ったけど、先生に悪いことしたかな?先生は聴いてない曲の感想を聞かれて私がローバイすると思ってたはずだから。(ちなみにこのツィゴイネルワイゼンを使って大安寺高校のダンスコンテストでは池田八重ちゃんとふたりで踊って優勝した。そして佐藤先生は大安寺高校に転任になっていた。ツィゴイネルワイゼンはそんな因縁の深い思い出の曲。ボレロは皆の記憶に残ってるんじゃないかな?あれは三年生の鑑賞曲。たしかに大人のムードがあった。1、2年の時、音楽室から流れてくるボレロを聴いて三年生にあこがれたものでした。)
 そうそう、張田クンと授業中に五目並べか軍艦ゲームをしていて始末書を書かされたことがある。自分の書いたものと、父親の書いたものをもって一緒に職員室に行った。張田クンのお父さんは前の日、残業で遅く帰ったということだった。お父さんが一生懸命働いておられるのに、君が勉強を怠けていては申し訳ないだろう?という意味のことを岡田先生はおっしゃった。こんなことを思い出すと、時代が変わったという思いを禁じえない。
 岡先生は仙人みたいだった。あるとき生徒を前にして、体育の山本先生と口論になった。オトナ気ないな、と思ったけれど、先生も人間だったんだ、とちょっと安心したことも覚えている。軍隊の話をよくされた。世間話も多かった。生きていく上で必要なのは知識ではなく智恵だということを岡先生から学んだのだと思う。
 高野先生はなぜかサッカーのイメージが強すぎて、まじめに授業を聞かなかった。これは当時隣に座っていた伊月真理子さんとせっせとマンガを描いていたためでもある。イツキ、オオカワラで出席番号が並んでいたのが運の尽き。それにしても、伊月さんの描くマンガは素人ばなれしていたなぁ・・・
 清水君が骨折したとき、こんなに長く休んだら困るだろうな、と思って、毎日前の日のノートを届けた。ご両親からトランジスタラジオをいただいちゃったのは驚いたけれど、やさしいご両親なんだな、と思った。写した国語のノートに書いた熟語など、一部まだぼんやりと記憶にある。人のためにすることは、結局は自分のためになることを私が確信しているのは、この出来事がベースになっている。
 なんだか、人並み外れて優秀な人がいたように思うけれど、成績とか順位とかに全然こだわらずに友達づきあいをしていた。みんなが他の誰にもない味を持っていてとにかく楽しかった。
 能登先生はみんなに潜む芸術家の部分を引き出す名人だった。小西さんをモデルに人物画を描いたとき、安部君は顔を青紫で塗った。
能登先生に激賞されて、安部君は面食らっていたけれど、そう言われてよくよく安部君の絵を見ると、やせて色白だった小西さんのイメージがよく捉えられていてなかなかよかった。とにかく、いい作品はめちゃめちゃ褒めちぎる先生だった。他にも先生に誉められた作品をいくつか覚えている。才能豊かな附属のみんなのことだから、いい作品が多かったことは確かだけれど、誉められた作品が記憶に残った、ということは、美術の指導者として優れた先生だったんじゃないかな。
 ダンスの山下先生のことは、もう言うまでもない。手袋をしてピアノを弾かないのと一緒だ、と言って、凍りつくようなダンス教室ではだしで踊らされた。足の裏で、自分の体が今どんな形を作っているのか感じることができた。踊りが大好きで、踊りが好きな生徒が大好きで、だからずいぶんかわいがってもらった。別に踊りがすきでもなんでもない男子生徒にもずいぶん人気のある先生だったけれど、先生の子どものように純粋なところは誰も好きにならずにはいられなかった。
 二年生の後期、わが学年から生徒会長を選ぶことになったとき、2Eはクラスを挙げて選挙選を戦った。わがクラスの生徒委員は明比君。私は応援演説をした。内海君が一年女子の票をほとんどまとめたのが勝因につながった。選挙の鍵を握っているのは誰か?これを中学時代に学べたことは今振り返ってみると非常に意義深い。
 何だかきりがないほど思い出される。中学時代に得るものと、高校で得るものは確かに違う。雑漠としたエネルギーの塊にどれだけ刺激を与えてもらえるかが大切なのだと思う。そういう意味では、皆がみんなの刺激になりあっていた附属のあの自由な雰囲気!本当にすばらしい学校だったと今、認識を新たにする思い。
 化学式を覚えるより、単語を覚えるより、いい友達から人間らしさを学び取れって、堂々と自分の子どもに言える親になれたらいいね。 

片山弘子

yhtasyrn@ncn-t.net
鳥取市, 鳥取 日本 - 2001/07/ 2 22:27:18 (JST)


伊勢田君
「幹事の一言」覚えていてくれて、どうもありがとう。
本当に楽しい幹事会活動でした。




先日の「陰陽師」の中の“りみもうりょう”は誤りで、正しくは“魑魅魍魎”(ちみもうりょう)でした。どうりで漢字に変換できないと思った。謹んでお詫び、訂正いたします。また、“跋こ”は“跋扈”です。
あー、なんと難しい漢字かな。




森 和子


武蔵野市 日本 - 2001/07/ 1 12:42:23 (JST)